怒りをコントロールする方法

メンタルヘルス

怒れる時代

こんにちは。私たちが生きる現代は怒りであふれかえっています。最近では有名人の一挙手一投足に対してなにかとケチをつけなければ気が済まない人もでてきており、ネット上は彼らへの誹謗中傷であふれかえっています。

現実世界を見てみても、職場に行けばたくさんの怒れる人が罵声をあびせ、あわただしくうごめく職場の中で、毎日疲弊しきっている方もいるのではないでしょうか?また、人が多い場所では他の人を怒りに任せて押しのけたりする人もときどき見かけます。

このように、私たちの周りのあらゆるところでは「怒り」であふれかえっています。しかし、誰しも「怒り」はできるだけ抑えたいものです。今回の記事では、私が普段より実践している怒りのコントロール方法の中から有効的だと思ったものについて紹介させていただければと思います。

怒りの感情から離れる努力をする

まず、怒りを感じたら「怒りの感情から離れる努力」をするべきだと私は考えています。怒りをコントロールしようとするとき、多くの場合「怒りそのものを消し去りたい」と感じるのが普通かと思われます。

しかし、「怒りを全く感じない」ということはとても難しいことです。怒りが私たちの中にあるということは、それが私たち人間にとって必要な感情であると考えることもできます。つまり、人間が生きていく上で「怒り」という感情は何らかの役割を持っていると考えられるわけです(例えば自分を襲ってくる敵と応戦するために必要であるなど)。

ですが、実際問題として怒りをあらわにしたり、怒りに任せて行動すると大抵はよい結果をもたらしません。そこで必要になってくるのが「怒りを感じたときに何らかの対処をする」ということです。

  • 怒りを感じたらその場・その人から離れる
  • 別のことに意識を向ける

具体的にはこれらのことを意識する必要があると思われます。まずは「怒りの対象から離れる」ということ。当たり前ですが、私たちは周りの人の影響を受けないということはほぼ不可能です。当然、自分に怒りを向けてくる人と一緒にいれば、こちらも怒りを感じないということは不可能でしょう。

ですので、まずは怒りを向けてくる人や怒りの対象から離れることが一番です。そうすることで、まず怒りを催すような環境から解放されることができます。それから気持ちを整理することを考えればよい。まずは環境を変えることが大切です。

しかし、環境を変えても「怒りを向けられた」という意識は頭のどこかに残っている。それが苛立ちを催すこともあります。ですので、次は 「意識を別の箇所に向ける」ことが大切になってきます。 これはなんでもよいと思います。特に自分が没頭できる作業がよいかもしれません。急にはそのような作業を見つけることは難しいですので、これに関しては日頃から「自分の没頭できる作業はなんなのか」調査しておくのもいいかもしれませんね。

自分を嫌っている人への向き合い方

人は生きていれば、必ず自分のことを嫌っている人や、自分に苛立ちをぶつけてくる人に出会うものです。自分がやることなすことになにかとケチをつけてきたり、文句を言ってきたりする人への対処法はどうすればよいのでしょうか?

仏教には「慈悲の瞑想」という考え方があります。私は日々これを実践することで、なんとか怒りを抑えようと努力しています。「慈悲の瞑想」では自分を嫌っている人への対処法を次のように述べています。

  • 私を嫌っている生命が幸せでありますように
  • 私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
  • 私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように
  • 私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

これは怒りをもつこととは対極の感情です。つまり、自分に対して怒りや苛立ちをぶつけた人でさえ、慈悲の心をもって接せよという教えです。

この「慈悲の瞑想」は効果が無いように思えます。なぜなら、私たちは普通、怒りをもって接してくる人に対しては、当然こちらも怒りをあらわにして応戦するものと思っているからです。

しかし、慈悲の瞑想では、怒りに対して怒りで対応するということはしません。あくまでそういった方々の幸せを願います。

私は「慈悲の瞑想」を完璧に実践できているわけではありません。しかし、自分が苛立ちを感じたとき、この瞑想をこころの中で唱えるようにしています。

私は日々、過去私のことを傷つけた人に対して怒りを感じることがあります。そしてそのときの感情がよみがえってきて、なんとも言えない苛立ちを覚えることがあります。しかし、そういうときこそ、この瞑想を唱えるようになりました。

なぜなら、人を傷つける人、人に嫌みを言わないと気が済まない人、そういった人たちは大抵こころのどこかに悩みを抱えているものだからです。彼らはそのどうしようもない悩みのはけ口として他人を使っているにすぎないのです。

ですから、例え自分に向けられた悪意があったとしても、こころの中で傷ついている彼らを思う。なんだか綺麗ごとのように思えるかもしれませんが、これを実践すると実際に苛立ちは小さくなっていくのを感じています。

怒りに対して怒りを持って応戦することは必ずと言っていいほど、よくない結果をもたらします。そうなる前に、この「慈悲の瞑想」を唱えることで自分の心をやわらげる努力をすることは、とても効果的だと感じております。

何があっても怒らないと覚悟する

この「何があっても怒らない」と決めることはとても大切です。これはつまり「怒りがこみあげてきたとしても、なにか別の方法で対処する」ということです。

一旦怒りをあらわにすると、心拍数は上昇し、頭に血が上り、冷静な判断は失われてしまいます。そして相手に暴言を吐いてしまったり、つい本来の自分であればとりたくないと思っているような言動を取ったりすることがあります。それが「怒り」の力です。

しかし、そうはいっても中々「怒らない」ということは難しいかもしれません。しかしここで意識すべきことがあります。

それは 「怒らない」ということを習慣化すること。 「怒らない」と決めた次の瞬間から怒りを消し去るなんてことは不可能です。例えそう決めたとしても、最初は怒りがこみあげてくることかと思われます。

しかしこれをだんだん続けていくことで、それが習慣化されて、以前まで苛立っていたような状況でも、冷静に対処できるようになるかと思われます。その理由は、単純に「怒ることをやめた」からだと私は思います。

人間の脳の面白いところは「脳は行動の後追いをする」というところです。つまり「怒る」から「イライラする」んです。「イライラする」から「怒る」のではないということです。これは日常生活を考えてみるとわかりますが、だらだらと生活していると私たちは何事もする気力がおこらないものです。しかしきびきびと行動していると、次々と物事をこなしたいような気持ちになります。

長くなってしまいましたが、この「怒らない」ということを日々実践することで、だんだんと「怒りたくなるような気持ち」も薄くなっていくのではないか、というところが日々感ずるところです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は私が日常的に実践している「怒りをコントロールする方法」について紹介しました。私もまだ完璧に怒りをコントロールするに至っていませんが、以上を実践することで、確実に「怒りを以前よりコントロールできるようになった」実感があります。

これまで生きてきた経験を振り返ってみましても、「怒り」に任せて行動することは往々にして悪い結果しか生み出しません。そしてその悪い結果に対してさらに自己嫌悪する。またそこに「怒り」を覚えて...という悪循環になってしまうのです。

今回は怒りを抑える大切さを少しでも知っていただきたく記事を執筆いたしました。もしこの記事が読んでいただける方の参考になれば幸いです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました