私が経験した人生を不幸にしてしまう5つの習慣

メンタルヘルス

概要


こんにちは。
突然ですが、あなたは今幸せですか?
かなり唐突、かつストレートな質問ですが、自分の幸福について考えることは人生を生きる上でとても重要なことです。自分は何をしているときが幸せなのか、これからどんな人生を歩んでいきたいのか。これらについてある程度方針を決めておくことは人生を幸福に生きる上で重要な事項となってきます。

ですが、今回の記事ではあえて逆の視点から考えます。つまり人生を不幸にしてしまう習慣についてです。本記事では私の体験談をもとに、私がついついやってしまっていた人生を不幸にしてしまう習慣について紹介します。以下に述べるいくつかの習慣は、言ってしまえばよくあることなのですが、それらの恐ろしいところは私が無意識にそれらの習慣を身に着けてしまっていたということです。

客観的に自分の生活を見ることができれば、なぜ自分が今不安や不満を抱えているかがわかるかもしれないのですが、以下の習慣は無意識に私がやっていたことですから、なかなかそれらが自分を不幸にしていることに気が付けませんでした。ですので、読んでいただいている方もぜひ以下の習慣をついついやってしまっていないか振り返っていただければと思います。

常に自分と優秀な人を比べる

snsなどに傾注しすぎると、どうしても自分と他人を比べてしまい、劣等感を強く感じてしまいます。
さらに意外にも憂鬱になってしまうが、SNSで見かけるキラキラとした友人の写真です。これが例えば大物芸能人や著名人であるならば、ある種遠い存在として認識することができますが、昔なじみの友人などがきらびやかな投稿をしている様子を見るのはなぜか不思議とモヤモヤとします。
最近私が読んだ本の中に「あやうく一生懸命生きるところだった」がありますが、この本で著者は次のように述べています。

 親の口から「マーク・ザッガーバークはFacebookでずいぶん稼いでいるぞうじゃないの。それに比べてあんたは……」なんて小言は一度も聞いたことがない。
もっと優れた人たちがたくさんいるのに、なぜよりによって彼らの友人の子どもが、僕らの親を苦しめるのだろうか?

確かに、マーク・ザッカーバーグは僕らの気持ちを煩わせたりしない(もちろん、めちゃくちゃうらやましくはあるが)。
僕らが激しい嫉妬を覚えるのは、自分と同等、または格下に見ている相手だ(p245)

SNSというのは華やかなコンテンツがトップやオススメに現れやすいという性質を持っているので、それらが「正解である」という価値観に無意識的になりやすい。そういう状況では華やかな人たちと自分を比べないのはなかなか難しいことだと思います。

お金を稼がなければならないと思いこむ

私自身がそうであったのですが、「お金を稼がなければならない」と思い始めてから、生活のあらゆる物事が楽しめなくなってしまいました。

上記の「常に自分と自分より優秀な人を比べる」で書いたこととも関係しておりますが、世の中にはたくさんお金を稼ぐ能力を持っている人がいます。そして、そのような人たちがSNSでたくさん発信をしています。私が「お金を稼がなければならない」という考え方にとらわれたとき、私はそれらのSNSで発信している人たちと自分を比べてしまっていました。そしてそれによって自分に劣等感を抱えていました。そうすることで、日頃自分がどんなことを行っていても「自分はお金を稼いでいない」という考えが頭をよぎり、それまでは純粋な気持ちで楽しめていたことに対する熱意を急に失ってしまいました。

自分は認められなければならないと思い込む

「自分は認められなければならない」と思い込むことも人生を不幸にしていしまう習慣の一つであると思います。ここでもやはりSNSの話になってしまうのですが、私がこの考え方にとらわれていたとき、日々の生活ではいかに「SNSでたくさんのいいねを獲得できるか」ということを考えていました。生活のあらゆるところにSNSで発信できそうなものを探してしまっていました。

問題は自分日々の生活の中だけにあるわけではありません。実際に生活の中で見出したネタをSNSに投稿した後、今度は「いいねが獲得できるのか」という不安に駆られてしまいます。そして今度は日々の生活が「SNSでいいねが獲得できたかどうかのチェック」で埋まってしまいます。実際に思った以上のいいねが獲得できた場合はいいのですが、獲得できなかった場合は「投稿したネタが面白くなかったんだ」という自罰的な感情にとらわれてしまいます。このように、感情が「いいねがとれたかどうか」ということに振り回されてしまいます。

「いいねを獲得できないのではないか」等に現れる「自分は承認されないのではないか」という感情は「承認不安」と呼ばれ、ある文献にはSNSが承認不安を増長させることを示唆しています。

SNS は自己の情報の共有に対して他者からの反応が得られることで、他者からの承認が数 値化、可視化され、承認への欲求を手軽に満たせる手段として有効である一方、より一層承認不安を掻き立てる要因にもなる。自己の投稿に対して他者から多くの反応が寄せられれ ば、承認への欲望が満たされることにつながるが、期待した通りの反応が得られなければ承 認不安が生じることにもつながりうるのである。また、承認が可視化されていることで他人 との比較が可能になり、より一層の承認不安を生じさせる可能性もある。- 承認不安と現代の若者

このころの私は「自分は周りから認められなければならない」と思いこんでいました。だから生活の軸が「周りから賞賛を得られるかどうか」という考えに寄っていました。ですから、賞賛を得ようとしたのはSNSの中だけではありません。例えば友達と話しているときも自分のキャラクターに合っていないような振舞い方をして目立とうとしたこともありました。そういった中でも、周りの人がたまたま喜んでくれたときはよいのですが、自分の求める結果が得られなかったときに帰ってから自罰的な感情に襲われました。そしてその自罰的な感情は数日間継続することもありました。

このようにして、「自分は認められなければならない」という感情にとらわれていた時、私の生活の軸は「周りから賞賛されるかどうか」ということが中心になっていました。周りから賞賛を得られたときだけハイのような気分になり、それ以外は基本的にイライラしているという、今考えてみると明らかに不健全な精神状態にありました。私の場合は、もともと極端な性格傾向ということもあり、不健全な精神状態に陥りやすかったのですが、それでも「自分は認められなければならない」という考えにとらわれることが人生の不幸にしてしまう習慣であることは事実だと思います。

人生で何かを成し遂げなければならないと思い込む

「人生を生きる目的は何か」ということは多くの人が考えることだと思います。私も時折このことについてよく考えます。つまり、「人生には何か目的があって、自分はそれを成し遂げなければならない」と考えることがあるということです。

私は昔から何かを始めようとしたことが何度もあったのですが、いつも長続きしませんでした。始めた当初は単純にそれらを楽しむことができていたのですが、だんだんと飽きてしまったかのように対象への情熱を失ってしまいました。

当時はなぜ対象への情熱が途切れてしまうのか理由がわかりませんでしたが、今の私は次のように考察しています。つまり、私は何かを続けようとしたときにいつもそのことで「何かを成し遂げなければならない」と思い初めてしまってました。そう思うことで対象を続けることに対するハードルがどんどん高くなり、次第に情熱を失ってしまったのだと思います。

「人生で生きる目的」ということや「人生で何かを成し遂げなければならない」と考えることによって、それが逆に「人生を生きること」を難しくしてしまうということは皮肉なことだと思います。意外と「目的」や「成し遂げなければならいこと」などは考えずに、気軽に物事を続けることが人生を楽しむコツなのかもしれないと私は最近は感じています。

自分は何者かにならなければならないと思い込む

「自分は何者かにならなければらならない」という考え方は人生を迷わせることにつながる考え方だと思います。

そもそも私たちが「何者かにならなければならない」と思うとき、それはなぜなのでしょうか?「社会に貢献したい」という気持ちがあるからでしょうか?「歴史に名を残せるような人になることで賞賛を得たい」と思うからでしょうか?私がこの感情にとらわれていたとき、心の根底にあったのは「周りからの賞賛を得たい」ということでした。

私は「何者か」になるために様々なことに挑戦しました。しかし、そのどれもが結局長続きすることはありませんでした。なぜなら、そのどれもが私が情熱を注げる対象ではなかったからです。それなのに「何者か」になるためだけになにかを初めて、そういったことが続くはずがありませんでした。それも当然です。私の目標は「何者か」になることであって、対象のものに対して勉強を深めていったり、それによって社会に貢献することではなかったからです。そして、たくさんのことをやってみてはみたものの、その根底にあるのは「何者か」になることですから、結局どれも同じように中途半端な形でやめてしまうことになりました。

つまり、私たちが「何者かにならなければならない」という考えにとらわれてしまったとき、なぜそれを達成する必要があるのかを考える必要があると私は思います。私が「周りから賞賛を得る意味」を考えたとき、そしてそれが自分の一番の目的として何かを始めようと考えたとき、その先にあるものは「自分のエゴ」でしかありませんでした。つまり、「誰かより秀でたい」という感情であったり、「見下されたくない」といった感情が私の「何者かにならなければならない」理由でした。

そう考えたとき、急に「何者か」になろうとしていることに対して罪悪感のようなものを感じるようになりました。なぜなら私は自分の高慢なプライドのために「何者かにならなければならない」という考えにとらわれていたからです。そしてこのことに気が付いてかは私がとらわれていた考えは頭の中からスーッと消えていきました。そして今まで必死に「何者か」になろうとしていたことが嘘だったかのように感じられました。

確かに周りの人から賞賛されることは物事を続ける上でモチベーションとなることもあります。しかし、私の場合はそれが過度となってしまいました。そして「何者かにならなければならない」という形で現れました。もちろん「何者か」になりたいという気持ちの根底にあるものは人それぞれだと思います。しかし、もしそれによって苦しさを日々感じているのだとしたら、私たちは一旦自分が本当に求めているものは何なのかを明らかにする必要があるかもしれません。

まとめ

いかがでしたでしょうか。私が過去ついついやってしまっていた人生を不幸にしてしまう習慣について紹介させていただきました。概して、これらの習慣の根本にある原因というのは「優秀な人と自分を比較してしまう」ということだと思います。テクノロジーが発展し、過度に情報化した現在の社会では、他人の情報をシャットアウトするほうが難しいのかもしれません。このような状況の中では、如何にそれらの情報とうまく付き合っていくかが人生を幸福に生きるカギになります。以前、人と比較しないことの大切さについての記事を書いておりますので、そちらも参考にしていただければ幸いです。

この記事が読んでいただけた方の役に少しでも立てれば幸いです。

幸せに生きるためには比較しないことが大切です
ついつい人と比較したくなりますが、ミニマルに生きるためには比較しないことが大切です。比較しないことの大切さについて書きます。

この記事を書いた人

ミニマメンタル管理人

「ミニマメンタル」の管理人。
普段からメンタルヘルスに興味があり、元々好きだった「ミニマリスト」と掛け合わせて新たなサポートの形を提供するべく当ブログを設立。

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