発達障害になりがたる人たちとは?様々な意見や見解について書きます!

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はじめに

こんにちは!

今日の記事は「発達障害になりたがる人たち」についてです。
近年、「発達障害」という言葉をよく耳にします。

Twitterなどでも「発達障害」について発信する方が増えましたし、そういった発信に対して共感する方々増えた印象です。

しかし、中には発達障害に関して明確な診断を受けていないのも関わらず、発達障害を自称する方もいらっしゃいます。
また、発達障害の診断を受けにいったものの、発達障害の診断が降りずに落胆してしまう方もいらっしゃると言います。

今回の記事ではそういった方々の心の底にはどういった心理が働いているのか、調べて見たことや私の意見、見解を交えて記事にしてみようと思います!

発達障害になりたがる人たち?

発達障害になりたがる人たちを書いたとして一時期ネット上で話題になった記事があります。

「病気ではない」という診断にガッカリする、自称・発達障害者の心理

上記の記事では精神科医の香山リカさんという方の書籍を取り上げています。
「発達障害になりたがる人たち」とはどういう人のことなのかというと、上記の記事によると以下のようなことが書かれています。

私は発達障害についての専門的知識は乏しいので、絶対に正しい診断とは言えませんが」と断ったうえで、「あなたには何らかの発達上の問題があるとは思えません」と告げると、これまで経験した限りではすべての女性は失望の表情を見せたのだ。

「えっ、そうなんですか。私、ADDじゃないんですか。アスペルガーでもない? そうか……」

記事のタイトルから推測される通り、「発達障害」になりたがる人たちは自分が「発達障害」でないという診断をされると、ホッとするどころかがっかりとしてしまうようです。

私はこういった気持ちを批判しているのではなく(実際に私にもこのような傾向はある)、これらの人たちの心の奥底にはどういった感情が渦巻いているのか気になったので、自分を知るという意味でも、調べてみました。

あらゆる問題を「発達障害」に帰結したい?

「発達障害」になりたがる人たちの心の中には、「日常のあらゆる問題を病気のせいにしたい」という思いがある可能性があります。
実際に、先ほど引用させていただいた香山リカさんの言葉の後に、記事の中では次のような記述がありました。

しかし、何人かに話を聴くうちに、「なるほど」とそのわけがわかった。やや厳しい言い方をすれば、彼女たちは自分が思うどおりに整理整頓や書類の提出ができないのは、「自分のやる気や性格のせいではなくて、障害のせい」と思いたがっているようなのだ

確かにこういった気持ちはわかります。なぜなら、もし日頃のあらゆる問題が「障害」のせいではないのだとしたら、それは単に自分の努力不足であったり、甘えであると感じられるからです。

確かに、人には向き不向きがあって、たまたま日常の事務的な手続きが苦手な性格であったとしても、もしそれを「障害」のせいにできるなら心は軽くなるのかもしれません。

実際に私たちにも得意不得意なことはもちろんあって、よくよく考えればそれは当たり前なことなんですが、これらの人たちに共通する性格傾向について記事の中では以下のように書かれています。

診察の範囲では、この人たちにはADD、ADHD、アスペルガー症候群などと診断されるような発達の障害は感じられず、むしろ何ごとも完璧にしないと気がすまない、理想の自分でないと許せない、という完璧主義的な性格が問題であるように思われた

完璧主義の方々は物事を完璧にしたいあまりに、自分自身に対してとてもハードルが高く、厳しくなってしまう傾向があると思われますが、もしそれが「病気」のせいであるとするならば、それは自分の甘えや努力不足ではないので「しょうがない」と思えるのかもしれません。

さらに記事の中には以下のような記述も見られました。

新自由主義的な競争原理が、職場、学校など、社会のあらゆる分野に浸透している。その結果、生きることに費やすストレスが飛躍的に増大している。学生もビジネスパーソンも主婦も、自己責任論の圧力に常にさらされている。

そのような状況で、発達障害という脳の機能に起因する自己の責に帰さない原因があるならば、自己責任論の重圧から逃れられるという(おそらく無意識のうちの)認識が、発達障害ブームを作り出しているのであろう。

病気ならば許容できるが、自分の性格に起因する問題ならば、それを矯正する必要が出てくる。そのようなことに取り組むエネルギーがもはやないということなのだろう。

いつの世もそうですが、例えばSNSなどが発達してきて、他人の成功が容易に閲覧できるようになってしまった現代に特有のブームであるとするならば、それは少し悲しいことなのかもしれません。

アイデンティティを確立したい?

「発達障害」が一種のブームであることは先の通りですが、自分のことを「発達障害」であると言いたがる人たちと中には、それによってアイデンティティを確立したいという思いがあるように思われます。
確かに、最近SNS上では誰かがなどが「発達障害」についてあるあるなどを披露したりすると、それに共感するという旨のコメントが多数寄せられているように感じます(実際にTwitterで「#ADHDあるある」で検索するとたくさんのツイートがヒットします)。

また、これも最近の話ですが、「手取り15万円」という言葉がTwitter上でトレンドとなってようですが、それに関してもさらに低い手取り額でマウンティングするというような現象が起きているようです。(参考:【悲報】「手取り15万」にすら不幸マウントが飛んでくる現状が”奴隷の鎖自慢”すぎると話題に

「発達障害」であると言いたがる人たちの心情は、どことなくこの「不幸自慢」に似ていると思っていて、それによって「自分は他の人と違う」というある種のアイデンティティを確立したい心情があるのではないでしょうか?

また、最近では発達障害を公表する成功者の方々も多く、さらに過去の偉人たちの歴史を見てみても、診断は降りていないものの、明らかに発達障害の傾向があったと思われる偉人が何人もいるのです。

例えばアップルのCEOだったスティーブ・ジョブズや、Microsoftの創業者ビル・ゲイツに発達障害の傾向があるという話があります(参考:空気が読めない人は「大人の発達障害」かの冒頭部分)

また、以下のような書籍も販売されています。
アスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性

このことからも、「発達障害」と天才たちが結びつけられることが多く、「発達障害の人は天才なんだ」という考え方が、ある種「発達障害になりたがる人たち」を生み出しているのかもしれません。

しかし、事実として、発達障害を抱えている方の中には特異的な才能を持った方もいらっしゃいますし、そうでない方もいらっしゃいます。
さらに、発達障害の傾向がある天才たちが目立ち過ぎているあまりに、特異的な才能を持たない人までもそういった風に見られてしまうことがあるようです。(参考:ジョブズや三木谷は発達障害?「天才病」のADHDには起業家・天才がゴロゴロ

「障害」として考えると、対策を立てやすい?

ここからは私の意見を書かせていただきます。
冒頭にも書きましたが、確かに自分を「発達障害」であると言いたがる人の気持ちはわかります。
現に、自分を「発達障害」であると考えると色々な辻褄が合うと思ったこともありました。
しかし、私は発達障害の診断を受けていませんし、それでも今は元気に生きています。

単純に、心理的なことについて興味があるので「発達障害」について調べたりしていますが、私はいつも「今自分にできることは何かを考えていく」という立場に立ちたいと思っています。

だから、自分を「発達障害」であると仮定して対応策を立て、それを日常のあらゆる問題に適用してみるという考え方にはとても賛成しています。

実際に、最近では発達障害に関するあらゆるサイトや書籍が出て豊富な情報がありますから、それを試してみるというのは、日常生活に問題を抱える人にとって大切なことだと思います。
そして、それらの対応策がうまく機能すればそれでいいし、機能しなければまた別の対策を考え直せばよいというのが私の考え方です。

間違っても、自分が「発達障害」であるということを振りかざしたりするべきではないと思います。
それは、実際に生活に苦悩されている方への失礼に当たると思うからです。

この記事が「発達障害」について理解する上で少しでも役に立てれば幸いです。

この記事を書いた人

サノ

「ミニマメンタル」の管理人。
普段からメンタルヘルスに興味があり、元々好きだった「ミニマリスト」と掛け合わせて新たなサポートの形を提供するべく当ブログを設立。

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