「わかっちゃいるけどやめられない」強迫性障害とは?

強迫性障害

「わかっちゃいるけどやめられない」に悩まされる強迫性障害

「わかっちゃいるけどやめられねぇ」と歌う昭和の歌謡曲を聞いたことがありますか。歌を聞いたことないという人に歌詞の内容を説明します。「少しだけお酒を飲むつもりだったけどハシゴでお酒を飲んでしまった。気が付いたらベンチのホームで寝てしまった。『これじゃ身体に良いわけがない』とわかりながらもやめられない」といった趣旨の歌詞です。

爽快なメロディーとともに歌っていた植木氏は当初、歌詞の軽薄さに怒りを覚え悩んだと言われています。(参考元:願成寺メルマガ

しかし、植木氏の父親に言われたある言葉がこの歌を歌う決意をするきっかけとなりました。その言葉とは、「人類が生きているかぎり、この”わかっちゃいるけどやめられない”という生活はなくならない。そういうものを真理と言うのだ」というものです。

この「わかっちゃいるけどやめられない」、色々な面で私たちを悩まさせる考えの1つです。そして、この「わかっちゃいるけどやめられない」の厄介さに非常に悩まされている人々がいます。それが、強迫性障害の人々です。

手を何度も洗う、鍵やガスの元栓を何度も確認しないと「気が済まない」?

強迫性障害の人々の「わかっちゃいるけどやめられない」とはどのようなものなのでしょうか?強迫性障害の症状として、「強迫観念」「強迫行為」 に分けられます。

強迫観念とは、たとえ不合理だと分かっていても頭から離れない考えのことを言います。歌詞で言う「わかっちゃいるけど」の部分に当たるわけですね。

強迫行為とは、強迫観念から生まれた不安やこだわりにかきたてられて行う行為のことを言います。これは、「やめられない」行為そのものを指します。具体的にイメージしてもらうために、強迫性障害の人々が示す症状として次のものが挙げられます。

不潔恐怖・洗浄

自分自身が汚れているのではないか、細菌に汚染しているのではないかという恐怖から過剰に手洗いや入浴を繰り返す。汚れることを恐れるあまりにドアノブや手すりも不潔だと感じて触れない。

加害恐怖

誰かに危害を加えたかもしれないといった不安から、新聞やテレビなどの事件事故を確認する。また、警察や周囲の人に確認をする。

確認行為

戸締まりやガス栓などのスイッチを何度も確認してしまう。じっと見張ったり、指差し確認をする、手で触って確認するなどの過剰な確認が見られる。

儀式行為

自分の決めた手順でものごとを行わないと、恐ろしいことが起きるという不安がある。どんな時も自分の決めた方法で仕事や家事を行おうとする。

数字へのこだわり

不吉な数字や幸運な数字に、演技をかつぐというレベルを超えてこだわる。

物の配置へのこだわり

物の配置や対称性にこだわる。かならずそうなっていないと不安になってしまう。

強迫性障害の症状を見ると、「自分は強迫性障害かも?」と思う人がいるかもしれません。日本における強迫性障害の有病率は、大都市圏の精神科の病院の調査から、0.51~1.37%とされています。この数字は、強迫性障害の有病率が9%を超えている国と比べると圧倒的に低い数字です。

しかし、実は日本における強迫性障害の有病率はもっと高いと言われています。日本ではいまだ、精神科を受診することへの抵抗感が強い人も多いため、重症であっても精神科を受診しない人が多い事が指摘されています。

したがって、精神科を受診しないが強迫性障害であるかもしれない人の数を予測すると、およそ50人から100人に1人、総人口では100万人を超える強迫性障害の患者が推定されています。この数字を見ると、意外と強迫性障害であるという人は多いのかもしれません。

参考:
山口県医師会
厚生労働省

「強迫行動」にも意味がある!不安に思わないで


ここまで読んで、「自分は強迫性障害なのではないか。病気かもしれない」と思う人がいるかもしれません。病気かもしれない、自分が周りの人と違って「変」なのだと不安に思う必要はありません。もともと、強迫的な行動には動物的な本能に関連しているのです。

その本能とは、「安全の確保」です。例えば、犬のマーキングを例に考えてみましょう。賢い犬は、自分の決まった道順にしたがって、自分がこすりつけたにおいの確認をします。確認をすることによって、安全な道順を確認し、安全を確保しているのです。

これを人間に置き換えてみると、何らかの体験によって恐怖や不安が高まり、脳が過度に興奮状態になってしまった結果、過度に安全を確認しないといけなくなってしまうのですね。

つまり、強迫行動は「自分を守る」意味があるのです。「周りと違って変」なのではなく、むしろ「危機管理能力がよく働いている」状態に近いのです。誰しもが自分の身を守り、安全に過ごしたいと思っています。恐怖や不安が起こるような状況を経験したら、危機管理能力が高まるのも無理はありません。強迫性障害は、「自分を守る」ことが強く表れている結果生じるものであると言えます。

参考:子どもの「心の病」を知る

「闘わないよ、ただ生きてくから」という言葉にみる強迫性障害との付き合い方

俳優の佐藤二朗氏は、自らの強迫性障害を告白し、その経験をもとにある一本の映画を作りました。それは「memo」というタイトルで、2008年に公開されました。その映画の中で、「闘わないよ、ただ生きてくから」という言葉が出てきます。この言葉の意味、どのように捉えますか?私は、これは強迫性障害と闘う必要はないという風に捉えることができると思っています。そして「ただ生きる」とは、自分自身の強迫性障害を受け入れ、うまく付き合うことを意味するのではないかと思っています。

強迫性障害によって、本人だけでなく、家族などの周囲の人々も振り回されてしまいがちです。例えば、強迫性障害の人が何度も手を洗っているのを見て、「またか」、「どうしてやめられないのか」と怒りを抱いたりしてしまいがちです。

しかし、他の人が思っている以上に、本人が一番自分の行動に苦しんでいるのです。強迫性障害は、薬物療法や行動療法などの治療法があります。治療を行うことも大事ですが、何よりもまず、「そのうち治るかも」くらいの気持ちでいていいと私は思うのです。
 
そんな気楽な考えでいていいのか?と思う人がいるかもしれません。気楽な考えでいていいのです。私たちは、生きている限り、「わかっちゃいるけどやめられない」人間なのですから。

この記事を書いた人

匿名希望

東京にある某大学の法学部を卒業後、大手保険会社に数年勤務。
仕事をする傍らでメンタルヘルスについて興味を抱いたことがきっかけで、一念発起して心理系の大学院に入学。
1人でも多くの人に心理学やメンタルヘルスの知識を広めるため、ライターとしても活動している。

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